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お久しぶりです

2020/05/04 10:32 

あまりにも久しぶり過ぎてここに入る入り方も忘れそうだった。
さて、昨今というか今年2月ごろから全国にじわじわと滲出してきた
新型コロナウイルス禍。
ここ秋田も例外でなく、16名の感染者がでて、緊急事態宣言となった。
職場も閉ざされ、職員は原則自宅でTW(テレワークをこう表すなんて
最近分かったのだが)となった。
4月から自宅勤務が多くなり、ひと月に数回しか出社していない。
TWの環境がまだまだ整っていないのだから、仕事用PCを持ち帰り
仕事をしている。特にPCの前に座って仕事をしていないと警告音が
なるとか、上司に知られて叱られるなどというわけではなくの宿題を
こなしている中学生みたいなものだが、やらなければいけない仕事は
結構あるものの、TWの日、8時間、勤務を続けるというのは、かなり難しい。

怠け心もあるが、いつもはいない家族の昼食だって、たまには「お茶を
入れようか」だってある。夕食の支度だって出勤している日のような手抜
きごはんというわけにもいかず、と言い訳は尽きない。書斎があるわけ
でもなく、食卓テーブルに仕事のものを広げると、そろそろ食事という時
にはそれを全部片づけなくてはならないし、すぐ横で家人がTVを見てい
るのも気になる。

今日、5月6日までの緊急事態が延長になるかどうか安倍首相の会見が
あり、それを受けて佐竹知事の、秋田県の方針の発表が明日あると思う。

仕事、家事、散歩、すいている時間を狙っての買い物と、今日まではあ
まりストレスも感じないで過ごしてきたが、仕事がどうなるかが一番気が
かり。散歩は知らない街角の花々に心癒され薄っすら汗をかき、爽快だ
が、そうもしていられない。三密を避ける、というもの自分としては一生
懸命心掛けているものの、秋田でもまた、感染者が出るのではないか、
自分もかかるのではないかと気がかりは尽きない。離れて暮らす子ども
たちや親せきの人、その他、会いたい人がこんなにいるなんて。

忘れないために書いておこう。万歩計の歩数は
5月2日 8600歩    5月3日 6700歩

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新型コロナウィルスComment(2)Trackback(0) | Top ▲

ブレーキを踏むとき

2018/05/24 01:24 

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 私より20歳も年上だろうか、小柄なご婦人が横断歩道のところにたたずんでいた。渡りたいとアピールするでもなく、ただ静かにたたずんでいた。私から見ると進行方向右、対向車はそのまま通過しそうなスピードで走ってくる。私も走りすぎてしまおうか、そう思ったけれど、停まった。そうしたら、よかった!対向車も停まってくれた。そうして、そのご婦人が右側からゆっくりと歩き出した。その歩き方が本当に遅い!彼女が渡り始めた反対側にいる私は、これから発車しても十分通過できる、そんな歩みだった。実際、アクセル踏もうかとさえ思った。でも、私が停まったのを見て対向車が停まったのも明らかで、ここで走り出すのはちょっと違うよね、と文字通り踏みとどまった。ゆっくりゆっくり歩む彼女の姿を見て、私が停まらなかったら彼女はまだまだあそこにたたずんでいなければならなかっただろうと思った。
 先日、TVを見ていたら「日本の車は横断歩道でも停まらないので子どもたちには十分気を付けるように言い聞かせないければならない」と海外から来た人が話していた。そうか、それは日本の恥だなと思った。私が教習所に通ったのは40代だった。路上で走ったとき、私はうっかり横断歩道に立っていた人を見落とし、そのまま走り過ぎてしまった。その時に若い教官は言った。
 「あなたは決して意地悪い人には見えない。それなのに横断歩道で渡ろうとしている人がいたのに無視をした。そんなことはあってはならない」と、思いもよらない厳しい声で言った。「あなたは意地悪な人には見えないのに」そういった彼の声を今でも思い出す。老練な教官だったらどういっただろう。「停まらなくてはいけないよ」と普通に言われたらどうだっただろう。若い教官に言われたあまりにもストレートなその言葉はそのまま私の心に突き刺さった。でも結果的にはよかったのだ。その言葉が今も私を律してくれている。

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懐かしく愛おしい日々

2017/11/04 01:27 

タリーズコーヒー
子育ては楽しい。昔から子どもはかわいいと思いながらあまりイライラせずに3人の子を育てた。だから自分の子どもを殺めてしまう親の話は、むしろ痛々しくて悲しい。子育てを楽しめたらどんなに親も幸せだったのだろうかと。その人がそう思えなかったことの原因は何だろう、生い立ちだろうか、環境だろうか。誰も力になれなかったのだろうかと、しょうもないことを思ってみたりする。

 昔読み聞かせグループにいて少しだけ小学校で読み聞かせをしていたことがあった。とても楽しい思い出だ。その時の仲間が訪ねてきて、その時のニュースレターが100号になり記念誌を出すので一文をと頼まれた。その時の駄文をここに載せる。

 「お話の森、100号達成」おめでとうございます。ひとえに関係者の皆様の努力のたまものと思います。ひとつのことを続けるのは本当に大変なことですものね。ずいぶん前に何度か一緒に活動をしただけの私ですが、絵本に関わることの思い出について少し書いてみたくなりました。
 3人の子どもにはとにかくたくさんの本を読んであげようと思っていました。もちろん、夜などは眠くて眠くて、絵本を読んでいるつもりが睡魔に勝てず、活字を追うのではなくて途中から寝言のような意味不明なことを言い出して、「ママ~違うよ~」と子どもに起こされることも幾度となくありました。このことは子どもが成人してからも子ども自身が覚えていて笑い草となっています。
 さて、そんなある夜のこと、『おててがでたよ』を読んでいました。読み終わると「もう一回読んで!」と繰り返しせがむ子どもの熱心さに「よし、『もう一回!』と言わなくなるまで繰り返し読んでみよう。いったい何回言うだろう」と考え、その声に付き合ったことがありました。「もう一回!」「もう一回!」「もう一回!」。その日の私は眠くなかったのでしょうね。なんと、その「もう一回」は9回繰り返されました。10回目に読んでいる途中で眠りについた子どもの寝顔を見て、何ともいえず充たされた思いを抱いたことをおぼろげながら覚えています。
 本好きに育った子どもたちは、リアルな人との付き合いと読書の世界と両方から多くのことを学んできたようです。読み聞かせはその第一歩、大事な大事な活動がこれからも続いていきますように」

懐かしい日々Comment(0)Trackback(0) | Top ▲

馬齢を重ねてはや幾歳…

2017/09/21 01:32 

千秋公園の蓮
 今日は年一回の誕生日。誕生日は何歳になってもうれしい。たくさんの友がFBで「おめでとう」のコメントを寄せてくれた。たくさんの人に出会って、心通わせて、幸せだと思う。
 しかし誕生日はやはり母を思う。昭和26年と言えばやっと戦後の混乱が終わったころなんだなぁと思う。産気づいた母はリヤカーに乗せられてひと駅離れた産院に行ったというエピソードを聞いて驚いたことがある。そんな時代だったのかなぁ。いくら昔とはいえタクシーぐらい走っていただろうにと思うが嘘を言うはずもなく、きっとそうだったのだろう。いや、これはもしかしたら兄の出産のときのことだったのだろうか。
 いすれにせよ母は産後の肥立が悪く、そのまま病床に伏せるようになり、私が物心ついたときにはすでに自宅で療養をして、家事はほとんどがお手伝いさんがしてくれていた。母親の手料理を食べたことのない私は「おふくろの味」というのを知らないと思っていた。でもお手伝いさんが調理のたびに母のところに小皿を持って味見をしてもらいに来ていたから、お手伝いさんの味が母の味だと後年、気がついた。さまざまな生活の知恵も作法も布団の中から教えてくれた。反抗期の私を叱るときも布団の中からだった。自分が母親になった時、母は、よく伏せったままで子どもを育てたなぁと、すごいなぁと思った。自分にはできないなあと思う。
 中学高校時代、学校から帰って病床の母の口に夕食をひと匙ひと匙運ぶのは私の役目だった。生徒会が忙しいから、体育祭の準備が忙しいから、先生が手伝ってと言ったから、、、あれやこれや理由をつけて帰宅時間を遅らせ、その時間から逃げていたことも母はお見通しだったに違いない。しかし、あの頃、母の枕もとで教わったことはきっと人生にとって本当に大事なことばかりだったのだと思う。
 母はその半分以上を伏せって過ごした人生を59歳で終えた。私はとうにその歳を超えてしまったけれど、母が育てたかった人に育っただろうか。100点をとって持って帰ったら褒めてくれたように、今の私はちゃんと褒めてもらえるだろうか。

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う~ん、このタイミングで、そうきましたか

2017/08/23 15:51 

 そんなに忙しいわけでもなかったお盆が終わるころ、なんだか体の節々が痛い。風邪を貰ったかなと思っていると寒気がする。こんな真夏に寒気なんて贅沢!などと冗談を言っているうちは良かったのだが、咳が出始めた。2日ほど咳に悩まされたら、今度は夕方、耳が少し痛くなったので、冷蔵庫にあった保冷剤をタオルに包んで冷やしてみた。床についても耳の痛みは収まるどころか、ひどくなってくる。う~ん、これはその昔やった中耳炎に違いない。夜半になり痛い左耳を下にして横になっていると、耳の奥でゴボゴボと音がする。液体が鼓膜の裏側に集結し、鼓膜を押している。液体は増幅し出口を探している。時々、「痛っ!」という痛み、「う~痛い~」というかなり強烈な痛みが数回。そしてとうとう鼓膜が液体との攻防に負け破れ、そこから液体が耳の出口に向かって流れだしてきた。その瞬間から痛みはほとんどなくなった。耳が変だ!と気づいてからわずか8時間程の短期決戦だった。
 痛みが取れたのでゆっくり眠れるはずだが、そうそう、私、子どもの頃は毎年、中耳炎を患って、2,3年生の頃から一人でバスに乗って耳鼻科に通ったのよね、と懐かしく当時を思い出して眠れなくなった。本当に懐かしい思い出。あの頃の山口県光市の海沿いの田舎道。耳鼻科のダルマストーブの赤い火、他の季節は草の匂いや赤とんぼの群れ。。。
 翌日、耳鼻科に行って耳を診てくださった先生との会話。「中耳炎ですね。時々やるんですか?」「いえ、子どものとき以来かな?」「そうでしょうね、子どもかお年寄りが良くなるんですがね。よっぽど強い菌だったのですね」と。(いえ、、私、その後者の方です)と心の中で思いながら、あえて言いませんでしたが。
 しかし、このタイミングでねぇ、というのは、今日が、私が何年も待ち焦がれていた「さだまさしのコンサート」。難聴状態でも行ってきます。鼓膜の方は「少し再生してきた」そうですから。

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「暮しの手帖」とともにトパーズ色の風になった

2017/08/04 01:02 

  人に贈り物をするのが好きだ。というより、贈り物を選ぶのが好きだ。今、あの人はこれを贈ったら喜んでくれるだろうか、いやこちらの方がいいだろうかと考える。まぁ「はた迷惑」というのもままあるだろうと思うけどそれは仕方ない。自分だったらこれを貰ったら嬉しいな、というのが基準になっているだけなのだから。

 義姉が体調をくずし入退院を繰り返していたころ、何回かお見舞いに行った。初めての入院には、少しでも気分が晴れたらときれいなバスタオルやハンドタオルを一枚一枚選んだ。次の入院の時はポーチに口紅を選んだ。素敵な医師の時はうっすら口紅もいいかもなんて思って色味だって吟味した(つもり)。次の入院の時はCDプレイヤ―と平原綾香やクリス・ハートのCD、それに筆まめな彼女のために絵ハガキと切手を10枚。そして一年ほど前には雑誌「暮しの手帖」の年間購読をプレゼントした。これはすごく喜んでもらえた。そして今年の7月末に、購読期間の延長を促す手紙が暮しの手帖社から来ていた。その手紙の3日後に彼女が亡くなったと知らせを受けた。

 通夜の彼女の枕もとには最新号が置かれていた。そして葬儀の日には棺の中にそれが納められていた。彼女の子どもたちの配慮に違いない。そうそう、最近は本を読む体力もなかったんだよね。あんなに好きな雑誌も読めなくなっちゃったんだよね。でも天国ではゆっくり読めるよ。そうか、年間定期購読は今度は自分にプレゼントしよう。これをちゃんと読めば少しは貴女に似た思慮深い生活ができるかも知れないから、なんて言うと天国の貴女に笑われそうだけどね。

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